阿讃戦国史お手合い掲示板 11914


【白峰合戦記】をupしました!

1:管理人 :

2024/05/16 (Thu) 23:30:11

https://bbs10.fc2.com//bbs/img/_889700/889665/full/889665_1715869811.jpg 2024.5.16
【白峰合戦記】をupしました!
https://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1362Fb.htm

将軍、足利義詮の清氏追討令を受けて備中にいた細川頼之は讃岐の宇多津に上陸します。
時を同じく細川清氏も高屋城に移動し、しばらくは対峙する状態が続きました。
兵数に劣る頼之は自身の母を清氏の許に派遣しいろいろと穏便に済ませられるよう説得しましたが、結局は不調に終わったようです。
頼之は時間が経てばますます不利になるばかりなので
家臣の新開真行に囮の兵を付けて中院源少将の籠もる西長尾城に向かわせ
清氏が援軍を送ったすきに高屋城を攻略する詭計を案じ7月23日に実行に移しました。
案の定、術中に陥った清氏は36人の家臣とともに高屋城近くの綾の河原に打ち出して壮絶な討死を遂げました。
今考えても余りにも無謀な吶喊突撃で、少し籠城しておれば援軍もその日のうちに引き返して来る訳ですから負けることはなかったと思うのですが、
頼之のことですから事前に工作して内部から崩壊するよう仕向けたのかもしれませんね。
⇒は、「英雄百人一首」に描かれる細川頼之です。

今回は高屋城の場所と新開真行の行路について少し考えてみました。
坂出市林田町に残る「史跡三十六」は清氏戦死の地と伝えられ、中山城山の建てた「細川将軍戦跡碑」や小田耕岳の顕彰碑、千鳥の松の碑 などで昔日を偲ぶことができます。日露戦争時の砲弾も奉納されていますが、おそらくこれは、清氏に討ち取られた野木備前次郎が乃木希典大将の先祖であることから第十一師団長時代にこの地を訪れており、それを記念するものでしょう。
ここは小生にとっても思い出深い地。幼稚園の時にすぐ近くに住んでおり父母とよく散歩がてら訪れたものでした。まだ産業道路も白峰中学校もない時代で夏は蛍が乱舞しており、虫籠にたくさん採ってきてその淡い明滅を眺めながら寝たことをよく憶えています。
恥ずかしながら文末に、高校の頃、受験勉強の合間に書いた自作の拙い詩を披露させていただきました。「史跡三十六」は小生にとって幼い日の思い出とともに歴史趣味の原点でもある大切な場所でもあるのです・・と書くとかっこいいのですが、実は近くに幼稚園の頃から好きな女の子の家があって、その淡い思いと古戦場の懐古の情を重ね合わせて青春の憂鬱に浸っていただけで、まあ、ここでも清氏はいい出しに使われたわけです。・・ホントに可哀想な清氏・・(T^T)

では、また。


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