阿讃戦国史お手合い掲示板 8220


【細川清氏、白山で十河、神内、三谷3兄弟に謁見す。】をupしました!

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2024/04/26 (Fri) 21:37:32

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【細川清氏、白山で十河、神内、三谷3兄弟に謁見す。】をupしました!
https://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1362Fa.htm

細川顕氏、頼春の亡き後、細川家の惣領として頭角を現したのが、和氏の嫡男、清氏でした。
香川県ではとかく白峰合戦が中心に語られることが多いのですが
すでに「正平の一統」以後、畿内を中心に活躍しており足利尊氏の死後は義詮を補佐して「太平記」でも多くの武功譚が語られています。
清氏の没落は、佐々木道誉との折り合いが悪かったことで、清氏が彼に対抗したことで老獪な道誉を本気で怒らせたのは致命的でした。
最初は将軍に恭順の意思を示しましたが許されないために、結局は南朝に身を投ずるしか術はなかったのです。
しかし畿内では馳せ参ずる武士もほとんどなかったため古巣の四国に渡り、他の南朝勢力とも連携しながら勢力拡張を狙ったのでしょう。
この回は、讃岐三木郡白山(しらやま)の清氏の陣所に植田3兄弟が伺候したときの逸話です。「金毘羅参詣名所図会」にその様子を描いた挿絵がありましたので掲載しておきました。2人の兄を差し置いていろいろと指図する”こましゃくれた”十河十郎の機知ぶりが光る逸話でもあります。
逸話もさることながら、なぜ細川清氏が白山に進駐したのか?も拙考してみました。強い勢力の三木氏や寒川氏のど真ん中に陣を構える訳ですから、史書には名が挙げられていませんが、両氏も清氏に近い立場だったと考えられます。それが後年、三木氏が滅び、寒川氏も安富氏の勢力下に置かれる原因になったのかもしれませんね。香川氏の支配する西讃に比べると、安富氏の支配する東讃にはトラブルが多く、その素因に清氏があるのかもしれません。とても興味があるところです。

⇒は、「続英雄百人一首」(Wikipedia参照)に描かれる細川清氏の想像図です。勇壮なイメージですが、和歌や宗教にも造詣が深く、婆娑羅の佐々木道誉とまではいかなくても、この点では禅宗に帰依した頼之にも引けを取らないかもしれません。しかし、怜悧狡猾さで道誉の足下にも及ばなかったことが清氏の不覚だったとも言えるでしょう。
さて、次回は「白峰合戦」です!幼稚園のときから”史跡三十六”の近所に父の転勤で住んでいたことから今に至るまでの小生の歴史趣味の原点でもあります!「太平記」の記述から、頼之の股肱の臣である新開真行の行程について推察します!お楽しみに・・!

では。


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